眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

『最強同士がお見合いした結果』を読んだ

一週間に一回くらいは更新したいですよね!

 

最強同士がお見合いした結果 (GA文庫)

最強同士がお見合いした結果 (GA文庫)

 

 エスキア国最強の剣士“獄炎帝”ことアグニスは、仇敵イグマール国最強の魔術師“氷結姫”レファとお見合いをすることになった。だが二国が講和するキッカケのはずのお見合いは、実際は相手の最高戦力を籠絡して取り込むための化かしあいだった!?しかも何度お見合いを重ねても事態は進まず、会場を焦土に変えるばかり。そう二人は戦場では最強だが、恋愛方面ではまったくのポンコツだったのだ!国家の命運を背負った二人の最強は果たして幸せな結末に辿りつけるのか!?

 

との事。スペインも確か王女と王子様がくっ付いて出来た国でしたよね。(うろ覚え)

 

久しぶりに頭を悩ませないラブコメを読みました笑 二人とも最初から俺TUEE状態なのでそっち方面の心配はする必要は無く、ひたすら恋愛が駄目な二人を見てニヤニヤする作品です。

謀略とか計略とかそういうのが二人の後ろグルグルしていて、「くっ付くとゴールなんだけど、そのままくっ付いてもダメ」なので、無駄に高度な心理戦をやろうとする二人とうまく行かない現実のギャップが一番のニヤニヤポイントです。やっぱり素人に無理をさせるのは良くないんです(真顔)

でも、もし本当にお見合いとかしたら僕も彼らと同じくらいのことしかできないのでは? とかも思った(頭突きでテーブルの破壊は出来ないけど)

運命の二人なのか二人じゃないのか謎ですが、仲良くなっていってほしい。次は多分デカい戦いとアグニスの争奪戦が起きるはず。副官とか本当のいいなずけとか、エロしかないお姉さんとか乱立を期待します!

 

やっぱりラブコメは争奪戦がみたいんですよね!!!!!  全員でサバイバルお見合いとか!(謎)

 

『僕の知らないラブコメ』を読んだ

本年もよろしくお願いします(遅い)

 

僕の知らないラブコメ (MF文庫J)

僕の知らないラブコメ (MF文庫J)

 

 僕だけが知らない、君との“好き"。

みんなは近いうちに逃げ出したくなるような嫌なことってある? あるよね、きっと。明日になっちゃえばいいのにって思うようなそんな時。僕、芦屋優太はそんな時間を早送りできる能力を手に入れたんだ。これでもう勉強や揉め事、全ての嫌な時間から逃げることができる。やったね! そうして早送りしながら日々を過ごしてたら知らないうちに彼女が出来ていた! しかも相手はあのクラスの問題児、柳戸希美だって? 僕は怯えながらも付き合い始めたんだけど、意外にも柳戸はとても優しくて、そしてとても可愛くて……。どうして柳戸はこんな僕のことを好きになってくれたんだ……? え、このラブコメ、僕だけ知らないの? 第13回MF文庫J新人賞最優秀賞受賞作!

 

との事。時間スキップ能力が使える主人公が嫌な事をスキップしまくっていると、不良の女の子が彼女になっていた。なのだけど、ちょっとした喧嘩の火種や面倒くさい事をスキップする癖が治らず、彼女との仲に亀裂が走る。そもそも主人公は、仲良くなったきっかけも、亀裂の原因も知らなくて……知らなくて……(遠い声)

彼女とのイチャイチャではなくて、主人公が自分自身との逃げ癖と向き合い、直していく物語でした。(勿論イチャイチャはある。絵も良いので良かった)

絵の雰囲気から感じるノリより、結構シリアス目に触れているけど、こういうラブコメも意外で良いよね、なんて思った。僕は高校生の時ドラえもんの「どくさいスイッチ」があればいいのにと良く思っていたから、かなり共感できて、乗り越えていく姿も良かったと思う。一巻で大人になっちまったなぁ、主人公……

……でも大人になると割とガチでスキップした方が良い事が多すぎる一概にスキップが悪いとは言えず、ゲフンゲフン……

 

ヒロインの柳戸ちゃんが全然不良じゃなくて良い子過ぎるので、続刊が出るなら対抗馬が出てきてほしい!

『人生はシネマティック!』観た

最近はGAに向けて最後の追い込みをしていますが、息抜きで映画を観てきました。

初めに書きますが、とっても面白かったです。ぜひ観てほしい。


映画『人生はシネマティック!』11.11(土)公開

予告編にある通り、舞台は1940年で、ナチスが強かった時代(1941年12月が太平洋戦争の開戦なので、まだ日本はブイブイいわしていた頃です)。主人公は秘書として雇われたと思ったら、対独戦戦意高揚のための国策映画の脚本家になります笑。プロパガンダ映画の脚本という事で、「戦意高揚を計」り、「信憑性と楽観的な展望が持てる筋書とし」つつ、「さらにアメリカの協力を取り付け」た上で、「何より女性の視点も入れたい(そして、戦争に協力させたい)」と、無茶苦茶な依頼を受け製作を開始。「普通の女性の物語」として、ダンケルク撤退戦の中、父の船を操り兵士を逃がした姉妹をモチーフとした映画を作ります。

 

軍部やスポンサーの横やりや、売れなくなったかつての名優、アメリカのスポンサー向けにキャスティングされた英国空軍パイロットのノルウェー系アメリカ人(当然俳優じゃない)(つーかいるのかそんな人……)に悩まされながら、現実では空襲に見舞われながらその度にプロットを変更、台詞を修正し、最高の映画を作る……という物です。

無駄が一切なかった(ユーモア、遊びはあります)。観終わってから一番最初に思った感想がこれでした。

筋書、音楽、カット、全て素晴らしいのですが、特に舞台設定が非常に上手でした。過去の戦争の映画を撮る、となると緊張感が無くなりますが、主人公達が居るのも1940年(ダンケルク撤退戦も1940年)なので極めてタイムリー。ロンドンも空襲されるなど、映画と映画内映画(「ダンケルク」としましょう)が緊張を保ったまま繋がっています。

その緊張を保ったまま(ドキドキしたまま)「ダンケルクの登場人物」と「映画の登場人物」が掘り下げられていくのがとても良かったです。

様々な横やりでプロットは変更を繰り返すのですが、その度に主人公が俳優や先輩脚本家とぶつかり、主人公の人となりが説明されつつ、「ダンケルク」の登場人物の行動や背景も加筆修正され、深みを増していきます。主人公達の魅力が増すと、「ダンケルク」の人物たちの魅力も増していく。倍々ゲームで面白いというわけです。「飲んだくれた最悪のジジイ」にキャスティングされたかつての名優と主人公の葛藤と成長が、最終的に「ダンケルク」の登場人物のキャラの深みとして結実していくのは観ていてとても心地がよかった。

ダンケルク」のシーンは画的にお粗末に作っている(昔の映画なので)のですが、それが主人公達の不器用さや努力とリンクしており、感動します。舐めてはいけない。

皆映画の作り手ですので、臭い台詞(「人生の一時間半を捧げたいと思う映画を作りたいんだ!」「我々で観客を泣かせようじゃないか」)がバンバン出てきますが、映画自体がそれに負けていません。

テンポよく進むストーリーに沿って、映画を作った達成感と、良い映画を観る事が出来た満足感が味わえる稀な映画でした。

ぜひ。

 

*最後に文句を言いたいのですが、「人生はシネマティック!」という邦題が最高にダサい。これで損してる気がします。原題は「Their Finest」(彼らの最高の一作、的な?)で、ロマンティック・コメディにジャンル付けされていますが感動します。

ネタバレなのでボカしますが、「人が映画を好きなのはそれが構成されているからだ。全てに意味があり、目的がある。だが現実はそうではない」的な台詞が最後に主人公とぶつかってきます。(割と物理的な意味で)

つまり作品自体に『「人生はシネマティック!」ではないから人生は苦しいのだ』というメッセージがあるのです。だからこそ「ダンケルク」は「普通の女性の物語」として、その時代最も意味もなく苦しい人生を押し付けられていた人々を主人公に据えた所があります。

映画自体のメッセージとしては、それでも人生はシネマティックなんだ! 意味を見つけなきゃいけないんだ! それが強さなんだ! と一週回って伝えているのかもしれませんが、それだとああいう予告編になりませんよね(戦火の中で映画を待ちわびる人たちに、とか)……もういっそ「Their Finest」で良いと思うんだけどなぁ。


Their Finest - Official Trailer

 

*これは本当にどうでも良いのですが、空襲のシーンが結構多いです。英国はどうやら地下鉄に逃げろと推奨していたようですが、本邦は空襲時、地下鉄は基本的に封鎖しました(軍事輸送力確保のため)。どうでも良い所でブリテンとヤマトの差を見せつけられた気がしました。

『ドリーム』を見た

久しぶりに、文章のリハビリをかねて書いてみた。


映画『ドリーム』予告A

 

NASAで初めて黒人/女性の技術者や研究者になった三人の女性が主人公の物語。面白かった。

舞台は1961年で、キング牧師ケネディ大統領が現役であり、したがって黒人差別と女性差別がまだ「合法」だった時。こういった時代的な内容はかなりしっかり描かれていて、物語の骨格となっている。出だしからずっと、三人は差別に晒され、能力を発揮できず悩み苦しむ。

今の僕らから見れば明らかに差別だと感じる所も、その時代の人達には自明ではなく、「女なんだから難しい事はするな(あなたを大切にしてるつもり)」「黒人の管理職なんてありえない(だって規則にそう書いているから)」といった、緩く、見えない糸で首を絞めつけられているようなシーンがずっと続く。白人女、男、さらには黒人男もまたマウントを取ってくるのだ。

「私たちは差別してるわけじゃない。思いやりなんだ」「偏見はない。ただルールがそうだから」という体でマウント取ってくるのは今もあるよね。

そんな中でも逞しく能力を発揮していってNASAのキーパーソンへと昇り詰めていく姿は、まず成り上がりのビルディングスロマンとして面白いし、歴史の勉強にもなる気がする。

(ただ働く人にあのレベルのスーパーマン求められるとたぶん死ぬ。無理)

上の物語が小気味よい音楽と日常パートとお仕事パートに分かれて展開され、最後まで飽きずに楽しめた。音楽がとくに良かったっすね。サントラ欲しい。

 

しかしこれ、原題は「hidden figures」(隠された数字/人)なのに、なぜ邦題は「ドリーム」

になったのか謎だ。原題は宇宙飛行士が安全に帰ってくるための計算式とその解(数字)を求める科学者たちの奮闘と、それを見つけたのが黒人女性であった事、つまり彼女自身がそれまでの歴史に隠されていた天才であった事、二つの意味があってセンスの良い題なのに、ドリームでは単にアメリカンドリームっぽい気がする。

でも「隠された数式」って邦題だとサスペンスっぽくなるし、仕方ないのかな。面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠たれ英国スパイ――『キングスマン』を観た

これは何ブログかと問われれば、ワナビ兼映画鑑賞兼読書ブログと答えようぞ。

 


「キングスマン」Web限定予告編

 

すんばらしい現代的で英国なスパイ映画だった。主人公と悪役がかっこよかった。

 

ストーリーは以下。

第一次世界大戦で世界の平和に目覚めた富豪たちが、どこの国にも属さないスパイ機関を作り、世界の平和のために戦う機関が生まれる。それが「キングスマン」。第一次世界大戦に発端を持ってくるの実に英国っぽい。

 

そのキングスマンのエージェントとして育っていく主人公が「世界のエコ」のため人類を半減させる計画を企むIT大富豪と戦う映画だ。

 

まず「英国な映画」というのは――生まれが全てを決める世界という事。

 

主人公エグジー(タロン・エガートン)はスパイ組織に居た父(作戦中に亡くなる)を持つ貧民街の住人。人生にやる気もなく、海兵隊も途中で辞めてしまい、ギャングと付き合う母親に愛想を尽かしながらも鬱屈とした日々を送っていた。そんな時、かつて父のスパイ師匠だったガラハット(コリン・ファース)と出会い、欠番が出てしまった「キングスマン」の候補生としてスカウトされる。

彼以外のスパイ候補生は全員超ハイソサエティな生まれで、紳士(ジェントルマン)だ。大卒でエリート、家もお金持ちで言う事なし。スーツの着こなしは最高にクール。日本で言えばしまむらWEGOで固めたようなファッションのエグジーは何度も生まれや親をバカにされる描写が入る。ユニクロは使っていない気がする。多分。

 

英国は生まれが全てを左右するそうで、例えば銀行などは実力があっても「スーツの着こなしが悪い」という理由で採用しないらしい。これは「生まれが良くないから採用しない」という意味だ。スーツの着こなしは謎の不文律が多く、小さい時からウェルドレッサーに囲まれていないと自然と身につかないし、お金も時間もない人間が後から学ぶのもキツイ。ジェームズ・ボンドの生まれは知らないが、スパイですら全員エリートな設定である。

 そんな中コリン・ファース演じるガラハットは「紳士として生まれるのではなく、マナーが紳士を生む」と言いながらギャングをボコボコにするスパイであり、生まれは良くないが素晴らしいスパイだったエグジーの父との経験を信じ彼をスカウトするのだ。

この点が実に英国的な異端が成り上がる映画だ。アメリカスパイなら多分皆生まれは良くないだろうし、ジェイソン・ステイサムがこの中に居たらきっとスパイになれない。彼ならキングスマンの店ごと爆破するだろう(まあステイサムはイギリス人ですけども)

厳しい試験を乗り越えたエージェントは円卓の騎士にコードネームが与えられる。ボスの名前はアーサー、エージェントはランスロット、ガラハット、モードレット。本部で情報を与えてくれるのはマーリン……ここも英国だし中二心をくすぐってくる。主人公はスパイとして成長しながら、何より英国紳士として成長するのだ。この点超クールなので絶対見る時思い出したい。

 

そんな主人公が戦う悪役はスタイリッシュな現代の悪役だった。彼が現代的なので、この映画は現代の映画になっている。

 

悪役(サミュエル・L・ジャクソン)は「世界のエコ」を企むIT大富豪で、血は見たくない、健康オタク、女性を侍らすのではなく一人だけ――という奴。悪役のイメージである「ドラッグ」「女侍らせまくり」「酒」「銃」「環境? 知るかボケ」要素はなく、ついでに言えば「白人」でもない。

かつてはこれらが「悪ではあるが権力者の必須アイテム」だった。でも、今これは全部貧者のアイテムになってしまった。貧しければ貧しい程環境の事を考える余裕はないし、ドラックを決め、酒を飲みまくり、銃をちらつかせながら女を侍らせる――

 

だから今の強者のアイテムにはふさわしくない。『キングスマン』の悪役はキッチリここを更新し、IT大富豪で健康オタクであり血を見たがらず女性は護衛の一人だけ、目的は世界のエコという悪役になっている。ついでに言えば黒人だ。スタイリッシュで狂った現代の悪役なのだ。

 

僕は日ごろ日本映画の悪役もキシリトール・ガムを噛みながらジムで筋トレをし、オーガニックなフードで夕食を決めつつ部下から「本日の殺し」の結果を聞く奴が出てきてほしいと切に願っているのだが中々実現してくれない。というかせめて日本支配くらいを目的にする悪役が出てきてほしいが居なくなってしまった。『キングスマン』はこの欲求を実に満たしてくれた。

 

成長するにつれクールな紳士になる主人公と、世界のエコを目的に大量虐殺を企むIT大富豪が戦う――『キングスマン』は現代的で、英国なスパイ映画なのだ。

 

色々書いたけど、アクションも音楽も一流でスーツのままクールに戦ってくれる。スパイ小道具も中二心をくすぐってくるしクール。もはや言う事がない。英国スパイと言えば007だけど、『キングスマン』もすんばらしい英国スパイ映画として記憶に残したい。

 

 

 

「すごくリアルな日本映画」――『シン・ゴジラ』を観た

いつぞや。アメリカ版の「ゴズィラ」を観た時にも感想を更新していた。

 

sjuuuuran.hatenablog.com

 この時は色々あったが、要約すると「godzillaは第一作のゴジラの系統」であり、どういう事かというと「人間の身勝手で産み出された厄災」であり、「どうする事も出来な超常的なパワーで僕らを破壊しまくる」というゴジラの姿だ。そして質感の良さとか3Dの良さ、後は引き起こされる津波のシーンから「とてもリアルだった」と感想している。

で、今作。


『シン・ゴジラ』予告

 

今作はどうかというと……面白かった! 二回観たし、多分三回目も観そうである!

 

まず音楽が良い! ゴジラ伝統の音楽をふんだんに使っている。下手に新しいのは遣わなくてもあの重いサウンドを腹に叩き込んでくれれば心はぴょんぴょん不可避で何も問題がない! 後プラスで遣われた音楽はエヴァっぽいが、というかゴジラエヴァっぽいというかエヴァゴジラっぽいというか、セカイ系とはかけ離れているが「自分にはどうしようすっげぇやっべぇのが来た」時のやっべぇ存在なんだから似通ってもいいじゃん。新幹線&在来線の皆、恨みが晴らせてよかったな!

 

そしてゴジラのフォルム。不気味で愛嬌がありデカくて強くて神秘的と、言う事がありません!

 

俳優! 超豪華! 石原さとみが真顔でルー大柴みたいな感じで喋ってる! これだけでご飯おかわり! 実はルー大柴すごいんだ! 大柴は出てないけど前田敦子がちょい役で出てたり塚本監督が生物学者になってたり原一男監督が御用学者になってる! 演技ぃ! おっさん俳優集合させすぎかよどうなってんだ皆かっこいいぞ! とか、豪華すぎてよくわからないくらい豪華すぎました。

彼らがめっちゃがんばってゴジラと戦うんですよ燃えるでしょこれ……

 

台詞回しも(総理大臣が「どうするんだよ記者会見で言っちゃったぞ?」とか笑うし、余りに甘利大臣に似た俳優が「ちょっと想定外すぎるなコイツは……」と言うともう吹きだす)とても良いし、映像はド迫力で自衛隊のドンパチは全く躊躇いがないし、ゴジラの放射熱戦は美しいと言っていいほどの映像美だし、カメラワークも逃げる人々の混乱っぷりが良く伝わって来て手に汗握る感じでした! 面白かった!

 

……と書き連ねていくと(心はぴょんぴょんするが)あんまり意味がないし、僕の書きたい欲も満たされないので如何に少しまとまって残しておきたい。

 

面白かった、の後の感想は、

ゴジラだ……それに、すごいリアルな日本映画だな」と考えた。

どういう事か。つらつら書きたい。

 

①すごい「リアル」な日本映画

 

かぎかっこの位置を変えてみた。どういう事かというと、「もしゴジラが現れたら皆どうするんだろうなぁ」というのを可能な限り地面に張り付いて描いていると思ったのだ。

ストーリーとしては何のことはない(ゴジラ映画的な意味で)。ゴジラが海の向こうから現れ、日本を踏みつぶしまくり、なんとかかんとかがんばって、ゴジラに御鎮まりいただく映画だ。

そして主人公は政治家と官僚、公務員達である。ゴジラ特別対策本部的な面々の頑張りを描くのだ。

 

特徴的なのは次だ。まず冒頭にゴジラが現れる。すると、延々政府の会議のシーンが映されていく。「あの水蒸気爆発の原因は」「海底火山」「原子潜水艦が爆発」「未知の生物が」なんてのを延々と繰り返し、官僚と政治家、内閣の面々がああでもないこうでもない、「法律では自衛隊東京湾に出動させるのはどうやればいいのか」、「経済的損失は」、「羽田は封鎖されているんだぞ早くなんとかしろ」、「想定外なんだから仕方がないじゃないか」

とテンパりながらも恐らく実際にゴジラが現れたら必要になるだろうと思われる形式的な会議やなんやをしつこく描いていくのだ。

それでもカメラワークや配役、何よりもリズム感によって失速感を得ずに面白く作っているのはチームの力だろう。

 

この後も「いざ自衛隊ゴジラと戦うならどこで守って何の武器を遣って、誰が決めて誰の裁可をどういう承認ルートで貰うのか」「東京の災害対策室がゴジラが現れたらどのように指揮を執るのか」「官邸がぶっつぶされたならどこに避難してどういう臨時内閣が組織されるのか」「U.S.Aが圧力をかけて来たのならどういうルートでどこの省庁にまず圧力がかかり、受け取った政府は誰がどうするか」なんていうのが延々、本当に延々繰り返される。

こう纏めると奇態に映るかもしれないが、「ゴジラが現れたならどうするのか徹底密着24時」的な側面がとても強いのだ。そして対応を生々しく描くことで、その対象であるゴジラその物がリアル浮かび上がる。その意味でとてつもない緊張感とワクワクが味わえる作品になっていた。

 

つまりこの映画は、特撮だが妥協(スーパー戦隊でレッドが大活躍して危機を乗り越える的な、良い意味での妥協)が無い、とてつもなく「リアル」な映画だ。

 

②「すごい」リアルな日本映画

 

かぎかっこを変える。上でまとめたように、この映画はとてもつもなくリアルな「ゴジラ対日本」だ。そして強調したいのは「この映画の日本の対応はほぼパーフェクトに近い」という事である。

今作のゴジラは体長は百メートルのK点越え、機関銃もミサイルも大砲もイージスの巡航ミサイルも、対地中ミサイルも、なんならデイジーカッターも核すら効きそうにない相手だ。そして熱光線の威力はシリーズ随一を誇るヤバさ。

何をどう頑張っても無理なのである。

 

だが、主人公並びに日本政府の面々は断固諦めない。誰一人「も、もう無理だうわああああん!」とか言い出さないし「ワイはマッマの元に帰るんやで。最期は親孝行や」みたいな事を言い出すなんJ民も居ない。各々が各々の持ち場職場職務を粘り強く全力でこなしていくのだ。

〈理想的な、あまりに理想的な〉――「すごい」奴らが頑張るリアルな日本映画を描いた作品だ。その点で、この作品は大震災や経済危機その他諸々の難所で時の政権与野党問わず醜態を晒し続けた泣きたいような現実とはあまりにかい離しているとは言える。

フィクションだがリアルを獲得したこの映画と組み合わせると、少し面映ゆくなる感すらある映画だ。

 

*この点を取り上げ「政権賛歌だ!」なんて感想も見えたが、仕方ないだろう。事実ゴジラが現れたら対応するのは政府だろうし、わかりやすい敵と危機を前にすると団結の必要性を感じて政府の支持率は上がる物だ。そういった所もリアルに描いたというのが正しいと思う。

 

でも、思えば特撮で皆が善意に基づいて活動し職務を励行するのは当たり前の事。その意味でこの作品は特撮に忠実なのだ。ただ余りにリアルなゴジラ対応と、余りにアンリアルなゴジラ対応の実践が交わり、不思議な感覚になる。

 

ゴジラが現れた時の対応マニュアルとしては「とてつもなくリアル」

実際にそれを運用したであろう時の対応としては「びっくりするほどアンリアル」

それが交わって、すっごい不思議な感じ

 

ここまで整理すると、こんな感じだ。

 

③すごいリアルな「日本」映画

 

またかぎかっこを変えた。これは何を考えているかというと、国と個人を対置した。

もっとわかりやすく書き残せば「登場人物の個性も人間ドラマも全くない映画」と言いたい。

 

すでに整理したようにびっくりするくらいの現実への驚く程のベストな対応の最中で、主人公が「まだまだこの国は頑張れる、そう思えるよ」と言うシーンがある。

 

「お前は一体何を言っているんだ?」というのが正直な感想だった。というか「お前、そんな事言う人間なの?」→「そもそもどういう人間かわからない」と変遷した。

 

主人公は権力欲があり、敵味方に勢力を塗り分ける決断力と鼻の良さ、ゴジラという事態に対処する才覚と機転を持ち、かつ健全な危機感の元日本の未来を案じる事の出来る士気軒高たる働き盛りの少壮男性と、これ以上望むべくもない政治家タイプの人間だ。

 

だが、例えば『半沢直樹』のように、「無慈悲な資金回収により銀行を恨みながら自殺を遂げた父を持ちながらも銀行に勤める」といった主人公の個人的な人間ドラマはない。皆無と言っていい。

 

むしろそうしたいがために登場人物全員を公務員にしたと思える程に無い。勿論、ユニークなキャラやどじっこ、ミステリアスな博士も居るには居る。だが例えば主人公級のキャラのゴジラ対策本部での恋愛も無ければ激しい、ライバルとのぶつかり合いや心の成長も、石原さとみのキスシーンや石原さとみが水着になるシーンも石原さとみの服ががれきで敗れたり石原さとみの頬が汚れたり石原さとみの髪の毛が乱れて胸にかかるといったシーンもない。とにかくないのだ。禁欲的と言っていいほどに無い。何のために石原さとみを出しているのか小一時間程問い詰めたい程に無いのだ。この点だけはマイナスだ。なら最初から石原さとみを出さないでくれ。

 

脱線した。つまりここには個人が居ない。全体として、総体として、よく言えばチーム「日本」抜群のチームワークの一要素。悪く言えば悍ましい程に(傍目にはゴジラ等いない世界に居るかのように)平凡な日常のように業務をこなす人間が居るのだ。もっとわかりやすく言えば、ここまで絶望的な状況の中で個人のエゴも出さずに、家族に電話の一本も入れずに、自分の頑張る理由も明らかにせずに戦い続ける主人公の頑張る理由が全くわからないのだ。はっきり言う。こいつは人間じゃない。

 

①リアルなゴジラ対応の中で

②チーム「日本」はアンリアルなまでに完璧な対応をする

③だが主人公達の個性は決定的に欠落している

 

――だからこれはまさしく、すごいリアルな「日本」映画だと思う。

 

だって、日本しか映していないのだから。

 

④すごいリアルな日本「映画」

最後は少々こじつけだ。では、何が映されているのか。此処からは僕のマジで書き残しになるけど、このゴジラは「とてつもなく心地の良いフラットな空間が映された映画」という事だ。

 

どういう事かと言うと、僕は

「もし今この教室に悪人がやってきたら完璧に対応できるのは今それを想定している僕だけだなデュフヘ」

なんて妄想を学生の頃良くした。

それと同じ事が良く出来ると思うのだ。

 

舞台は整っている。ゴジラが現れた。周囲の皆は完璧な対応をしている。だが邪魔になる個性の強い主人公達は居ない。

 

さあ、存分に世界に浸ってくれ。君ならどうする? まずはゴジラに畏怖してくれ。この恐ろしさの中で、どうする事も出来ない中で君ならどうする? 完璧な対応をする日本と自分を重ねて上から眺め下ろして悦に浸るか? それともその中の一員として努力し喜びを分かち合うか? 何大丈夫。君がどうすればいいかはきっちり模範解答がある。だがifとして周囲が対応失敗した中でヒーローになるのも良いだろう……

 

なんだこんな事か。なんて思うかもしれない。でも僕たちは初めのゴジラのように始めて見るゴジラとは出会えないし、子供のあのころのように特撮に手に汗握る事もデュフヘな妄想をする事も、もっと言えば街の角でパンを咥えた女の子とぶつかる事も転校生の王子様の秘密を知る事も、イケメン達が切磋琢磨しても奇蹟は起きないともう知ってしまっている。そもそも日本の特撮ってすたれ気味だし皆お金ないし……

 

その中で特撮として、映画を思い切り楽しんでもらうには、この三段構えで舞台を整え、どっぷり浸かってもらうしか方法が無かったのではないか。ゴジラであっても、「すごくリアルな日本映画」として見せなければ魅力は無かったのではないか。そう思えるのだ。これが仮に『ゴジラ Final wars』のような「皆知ってる特撮ゴジラ」の総決算では、ここまで面白い作品は作れなかったと思う。皆、飽きているから。

 

「すごくリアルな日本映画」の地平で、ゴジラと初めて真正面から向き合い、恐怖し、楽しめるのだ。

 

そう考えれば、ラストシーンの意味は色々取れる。ゴジラに不感症な貴方達は他の事にも不感症ね。や、僕らは現実では上手く行かなかったが、ゴジラならなんとか鎮められたんじゃないか。次はきっと上手く行くさ、なんて。

 

だがとにかく――この国にゴジラはまだ居るのだ。初めから見向きもしなくなったか、もしくは延々見せられたあげくに絶えられなくて飽いてしまったけれど、すごくリアルな日本の中に、今も眠っている。


伊福部昭 - ゴジラ (1954)

その事を思い出せただけでも、満足だった。

 

(人間ドラマらしきものが、石原さとみ演じるキャラには僅かにある。というかアメリカの面々にはある。そんな気はしたので、もう少し考えたいけど、今日はもういいや)

 

 

 

 

 

 

『血翼王亡命譚――祈刀のアルナ――』を読んだ

久々に更新。これでも徐々にペースが上がっているのです。後、下読でお預かりしたのもちょっとずつ読んでる。

 

 “私は駄目な王女だからね。自分のために命を使いたいの”耀天祭の終わり、赤燕の国の第一王女が失踪した―。だが、それは嘘だと俺は知っている。太陽を祀る五日間、彼女は王族の在り方に抗い、その想いを尽くしただけ…。突如国を追われた王女アルナリス、刀を振るうしか能のない幼馴染みの護衛ユウファ、猫の血を秘めた放浪娘イルナに人語を解する燕のスゥと軍犬のベオル。森と獣に彩られた「赤燕の国」を、奇妙な顔ぶれで旅することになった一行。予期せぬ策謀と逃走の果て、国を揺るがす真実を目にした時、彼らが胸に宿した祈りとは―。これは歴史の影に消えた、儚き恋の亡命譚。第22回電撃小説大賞“銀賞”受賞作!

 

との事。

久しぶりにファンタジーを読みましたが、ファンタジーはやっぱりどれだけ描写が上手いか、世界観作れるかが面白いファンタジーを描くコツなんだなぁと思いました。

 

この作品のファンタジーのキモは「言葉」です。あらすじだけではわかりませんが、この世界の登場人物たちは言葉に対し皆それぞれの距離があり、それがキャラクターを形作っていました。

 

聖なる唄を歌うため言葉を話す事を禁じられた王女

言葉に宿る力(言血=他種族の能力)を遣い護衛を務める主人公

父の言葉(願い)に縛られたネコ耳少女

 

等々。ギミックも

 

言血(他種族の言葉=血。その種族の力を借り受ける事が出来る)や

王歌(王族だけが歌える唄。傷をいやしたり建築したりと、色んな事が出来る)

と色々。そもそも生命の誕生が「言血の塊に歌を聞かせる」事によって誕生するという世界観で、徹底しています。後、作者は物を描写する際に三つの言葉を連ねて書くのが好きみたいです(濡れた若草色の髪、清流を思う透き通った肌、微かに薫る白桃の匂い、みたいな)

 

ファンタジーとは新しく世界観を創り上げるわけですから、世界を上手く創り上げた後は上手く説明する必要があるわけです。この点この作品はとても良く出来ており、テーマとキャラクター達の魅力が良く伝わってくる面白い作品でした。

 

ただ、なぜか僕は「これ、佐々木小次郎の燕返しから着想得たんじゃないのか……?」とか思いました。絶対に違うと思いますけど。読んでみるとなんとなく伝わるかも。

 

では。