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眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

「モーダルな事象 桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」

今日は横浜戦を見に行った行き返りで、徐々に読み進めていた奥泉光の本を読み終わった。

 

モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)

モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)

 

 糞みたいな主人公の内面を適当に語っておきながら、地の文では膨大な知識量に支えされたミステリを展開している。ぶっちゃけ助教授は謎解きはしません。ミステリの王道(いやあんま知らんけど)、足で情報を稼いだり種々の知識を駆使した登場人物たちの謎解きが展開されていく横で、作者のぶちまけと言ったらよろしいか、文学や種々の事に対する「何しんてんのあんたら?」的なぶちまけが展開される。いや展開される事にあんまり意味はないし、「これを真面目にぶちまけと受け取ったらあかんで」的なメッセージを読んでいると感じるんだけど、でも多分ぶちまけているんだろう。

 

ただ、読んでいて謎がとけても「ま、別にいいや」という気分だった。「十角館の殺人」を読んでいて感じた「すげえ!」という感じはない。情報量が多さのために焦点がずれているのだ。高橋源一郎が解説で語っていたけど、「人殺しをした犯人を追い求める。どのように、なぜ殺した?」のがミステリだとしたら、そこに焦点を当てるべきなのに、どうも色んな事、特に文学に対する比喩が多すぎて、焦点が絞れないのだ。あっちへふらふらこっちへふらら、そのふらふらした先は一応面白い。ただ、そのフラフラがミステリとしての面白さに奉仕しているとはあまり思えなかった。

 

エンタメとして純粋に読めば、この作品は「知識量とぶちまけ文、並びに主人公のどうしようもなさを表す文章の滑らかさと面白さ」を愉しむべきだと思う。桑幸の糞っぷりは読んでいて清々しい物がありました。