眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

愛を並列するフィルムたち 『インターステラー』 (ネタバレあり)

ダークナイト』『インセプション』『メメント』等の作品の監督である、クリストファー・ノーランの最新作を観てきました。

IMAXってすごいのね。割と感動した。


映画『インターステラー』最新予告編 - YouTube

 

映像は素晴らしいですが、僕の感想としては「映像はすごいけどなんかわけわからなかった」という物です。人によっては「ついにノーラン、神に目覚めたか……」と思う人もいるかもしれない。でもそれだと勿体ないので、出来るだけ整理して書き残したい。

 

クリストファー・ノーランという監督は物語の「構造」を好む監督なのかな、と個人的には思っている。

インセプション』での夢の多層構造、『ダークナイト』の善と悪(理由なき悪)『メメント』(未視聴ですが)の記憶喪失とタトゥーによって作られる記憶……

その中で人間がもがき、その構造に苦しみながらも何かを残す(構造を破く)という作り方をしている監督だと思っている。

 

では今回の『インターステラー』は何かというと、時間だ。万物に押し付けられた構造、時間。

 

近未来、地球は資源を使い果たし、遠からず滅びる定めとなり、一種のディストピア的な世界と化していた。残された方法は一つ、惑星移住。だが太陽系に居住可能な惑星は存在せず、絶滅は必至の状況だった。

そんな時、土星の近くに一つのワームホールが発見される。そのワームホールは時空間を飛び越え、遥か彼方の銀河系に接続されており、そこを潜り抜けて居住可能な惑星を発見する極秘計画(皆極秘って好きよね)、「ラザロ計画」が立案された。

 

主人公のクーパーは元NASAパイロット。いまは食糧難のため農家を営み、二人の子供と父親といずれ来る終わりをどこかで意識しながら暮らしていた。だがある日、娘の部屋に現れた幽霊の引き起こすポルターガイストによって一つの地図上のポイントを入手、そこへ行くとなんと極秘計画が営まれている秘密基地があった。クーパーは宇宙飛行の腕を買われ、「必ず帰る」と約束し、ブランド隊員らの率いるラザロ計画の一員となる……

 

物語の端緒はこのような感じだ。ワームホールは何かと確認しておくと、時空間を飛び越え、何光年もかかる彼方へと一瞬でワープする事の出来る宇宙に開いた穴、SFだとお決まりのアレだ。

 

映画は父の帰還を信じる娘達と、絶望の中で宇宙を旅する「ラザロ計画」のクルー達を交互に映していく。宇宙空間にはワームホールブラックホールといった時空を捻じ曲げる物が存在し、地球と宇宙の時間はドンドン捻じれ、離れていき、子供たちはあまりにも長い月日の中で成長し、次第に父は自分たちを見捨てたのだと、嘘をついたのだと疑っていく。

父は宇宙船の中で代わる事なく子供たちを愛するが、娘たちを地球から移住させるための理論にはどうしても必要な情報、ブラックホールの中にある特異点のデータが無い事が知らされ、実現はほぼ不可能とわかり、望みは絶たれていく……

 

相対性理論ワームホール、光速で飛ぶ船と地球の時間、時間を物理的に見る事の出来る五次元空間、重力、ブラックホール事象の地平線(イベント・ホライゾン)……渋く光を放つ時間SFのネタがふんだんに盛り込まれた中で、愛と信念、家族と種、裏切りと信頼を描いた作品と(あらすじガン無視なら)まとめる事が出来るだろうか。

 

僕が気に入ったのは、これらがフィルムを通じて描かれているということだ。

映画はフィルムに撮影され、切り刻まれ、組み替えられ、そして一つの完成にたどり着き、一枚一枚(一瞬一瞬)映されて有限な時間(上映時間)を持つ作品となる。

その時間の紡ぎ方は編集一つで自由であり、赤ちゃんを描いた瞬間、その赤ちゃんが老婆になっているシーンを持ってくる事も出来る。回想から始まる映画などはその一種だろう。『永遠の0』はわかりやすい例かもしれない。


映画 『永遠の0』 予告編 90秒 - YouTube

 

映画では、例えば初恋の人と何十年後かに再開し再び燃え上がる恋や、幼い時代に感じた信念を貫きとおす物語といった、悠久の時が流れているはずなのにその火を絶やさずに貫き通す人間を描くことが出来る。マンガもそうだろう。一瞬で時を飛び越える事が出来るのだ。

『永遠のゼロ』であれば、祖父の信念を知り、今そこにゼロ戦が飛んでいるかのように、今そこに祖父の信念があり自分が忘れてしまっただけなのだと気付き慟哭する主人公の姿に、それを見る事が出来る。

 

だが一度冷静になって考えてみれば、そんな事はあり得ない。燃え上がる恋は以前とはどこか違っているし、貫いている信念も実は変化している。祖父の思いだってそんなに現代にフィットした都合のいい話ではない。それは時間によってだ。それを成長や変化と呼ぶ事も出来るだろう。

 

そういった映画の一種である『永遠の0』と『インターステラー』が異なるのは、この映画がそれぞれの時間での愛を意識的に並列し、さらにその愛を編集されない愛と並列している事だ。

 

娘が父を愛する時間と、父が娘を愛する時間はどんどん離れていく。だが、映画はそれを場面転換によって並列する事が出来る。あたかも「今ここ」に居る父が娘を愛し、娘が父を愛しているかのように。だがそこには必ずそのように愛を並列している編集者が、仕掛け人が存在する。そこに意識的なのが本棚のシーンだろう。

 

物語の終盤に、クーパーはラザロ計画の仲間、ブランド隊員を可能性が残る最後の星に届けるため、自分はブラックホール特異点へと落ちる選択をする。その特異点の中、彼は何者かが作った五次元空間、娘の部屋の本棚の裏側と繋がる五次元空間へと入る。そこは時間すら物体として捉えることができ、ありとあらゆる時間の娘の部屋の本棚に繋がっていた。彼はそこでラザロ計画の行われている基地の情報、ブラックホール特異点の情報を娘に時空を超えて届けるのだ。娘の部屋の幽霊とは、彼自身だった。

 

これを「ああノーラン、ついに神の楽園にいっちまったか……」と考える事も出来るが、少し立ち止まってみたい。時間や空間を物体としてとらえる事が出来、そこに編集を加える事が出来る存在。それは「神」と呼んでもいいし、映画にとっては「監督」だと言っていい。それが本棚のシーン、五次元空間で娘に愛のメッセージを届けるクーパーに表されているのだ。

 

ともすれば破綻を運命つけられる(理論的に深堀していくとめちゃくちゃな事になる)時間SFに置いて、この作品は愛を並列する神=監督自身の存在を描いた。それは陳腐に陥る可能性があり、興ざめする可能性もある。ではそこまでして何をしたかったのか? それはラストのシーンにあるのだと思う。

 


映画『インターステラー』メイキング映像 - YouTube

(アン・ハサウェイがブランド隊員やってました)

 

クーパーは娘に情報を届けた後、なんとワームホールの反対側、つまり土星の近辺へと弾き飛ばされる。出発からは凡そ90年後。そこで彼は奇跡的に救出され、自分の送った情報により移住計画の真っただ中にいる人類の中へと戻り、娘の死に際に再会する事が叶った。

だが一人だけそこに居ない人がいる。最後の可能性の星へと飛び立った仲間、ブランド隊員だ。クーパーは娘に彼女の所へ向かって欲しいと頼まれ、彼女を救うため再び一人宇宙へと飛び発つ所で映画は終わる。

 

ブランド隊員は言わば神=編集の世界から弾き飛ばされてしまった存在だ。彼女は主人公たちより先に出発した先遣隊の中に恋人がおり、十中八九死んでいる事はわかっていた。だがそれでも彼女はラザロ計画の一員として宇宙へ飛び立った。叶う事のない恋として、再会する事の出来ない恋人に会うために。

 

クーパーはラストに、彼女を迎えに行くために宇宙へ飛び立つ。クーパーは別に彼女と恋仲になったわけではない。ブランド隊員に会えるのか、無事に生きて戻ってこれるのか。それは映画では描かれなかったが、当然といえる。彼女はクーパーによって編集の世界=ブラックホールからはじき出されてしまったのだから。

 

だが彼女の愛の顛末を見届ける事こそが、何の手を差し挟む事のない愛を見届ける唯一の方法だ。

 

それは映画やマンガでは描く事の出来ない愛であり、時間にもっとも服従した愛であり、そしてまさに「時空を超えて生き続ける愛」の形なのだろう。クーパーと娘の間にあった愛を、編集された(作為的な)愛と貶めるつもりはない。編集によって並列される愛は僕が信じ涙する事の出来る愛のもっともポピュラーな物だからだ。

 

――だが同時に、ブランド隊員の編集の出来なかった愛、時間に服従した愛は僕たちがたどり着かざるを得ない愛でもある。宇宙や時間といったギミックを使い、この二つを一つのフィルムに並列してみせた。その点でこの作品は評価できると覚えておいてもいいかもしれない。

 

もちろん筋のギリギリっぽさや、ギミックの古ぼけた感じ、やっぱりちょっといっちゃっただろ感は否めない。だがそれでも、やっぱりノーランの作品は面白いと思った。