最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』を読んだ
今日は最果タヒの『死んでしまう系のぼくらに』を読みながら、お彼岸に一人でいった。
一人で行く理由は僕の予定がそうさせたのだけど、それとは全く別に、それは僕の感情の中にもあった気はする。
集合墓地の墓石はやけに綺麗で若干の鏡っぽさを持っていて、僕は手を合わせながら自分の姿をずっとみていて、やっぱり一人できてよかったと思ったりした。この中にいるはずのない人の事とか考えたりしてたわけで。
死者は星になる。
だから、きみが死んだ時ほど、
夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、
その事実がとても好きです。
「望遠鏡の詩」より抜粋
だから、きみが死んだ時ほど、
夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、
その事実がとても好きです。
「望遠鏡の詩」より抜粋
葬儀をあげたり弔ったり別れを告げたりするのは、残念だけれど徹頭徹尾僕らがそれを求めてて、死んでしまった方は求めてはいない、求めていたとしても絶対にわからない。それは僕たちが、有り体に言えば明日も息をするために行うエトセトラのような物でもある。どちらかというと本の感想というより今日僕が考えていた事のような気もするけど、とにかくはそういうわけで。
あまり現代の詩、ここ最近の人たちの詩を読んでは来なかったのだけど、こういう事を書いていいのかとちょっと心が楽になったり、でもこういう所で戦わないといけないのかとちょっと寂しくもなったり。
でも僕が今日考えていた、もういない人の事を表すためにはこういうやり方しかないような、慈しむためには身の回りにある事を丁寧に語る事しかないような気もする。
まとまりのないまま、これで終わり。