眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

『野火』を観た

 

『野火』と言えば大岡昇平。僕が高校生の時の教科書に『俘虜記』が乗っていて、他にも村上春樹夏目漱石のこころなんかが乗っていたけど、一番面白かった記憶がある。大事な事なので二回言うけど、面白かったのだ。

 

俘虜記(新潮文庫)

俘虜記(新潮文庫)

 

 

 

野火

野火

 

 

それで『野火』も読んで、高校の時に読んで心に残った本は多分大岡昇平のこの二冊以外じゃ無いって言ってもいいくらいだった。ごめん嘘、ハリポタとかダン・ブラウンも面白くて覚えてるし、こころも微妙に覚えてる。後は『沈黙』とか。あ、意外とあったわ。まあいい。で、塚本監督の『野火』である。

 

 


映画『野火』特報 - YouTube

 

野火は大岡昇平の戦争体験を元に書かれた極限状態に置かれた一兵卒、田村の物語だ。肺病みになってしまった田村は元居た隊からはつまはじきにされ病院(クソみたいな設備の所だけど)に行けと命じられるが、病院でも彼より死にかけの人間は沢山居て追い出されてしまう。彼は食糧を求めて一人戦場を歩き続け、意図しなかった殺人、不意の戦闘、死体の山、疲労、病、周囲の物全てに追い込まれながら歩き続ける。やがて瀬戸際の瀬戸際に追い込まれた彼は合流した仲間に「猿の肉だ」と言われ人肉を差し出される。彼はそれを食べるのか、食べないのか。

 

 

僕は市川監督版を観ていないし、戦争映画って言うと『フルメタル・ジャケット』や最近のだと『アメリカン・スナイパー』ぐらい、どこまで含めていいかはわからないけど『アンネの日記』や『意志の勝利』『我が教え子、ヒトラー』とかぐらいで、あまり多く観ているとは思えない感じの人間だ。

 

それでも、もし野火が「戦争は駄目なんだ」って言ってるだけの反戦映画になっていたらやだな、という思いはあって観た。

 

そうはなっていなかった。僕が原作を読んだ時に面白いなと感じた、「ただただとぼとぼ歩いているだけのひ弱な肉体を持つ一人の男(時々兵士)」を描いていた。小説で言えば一人称、とても主観的な描写をされていたのだ。

 

ずっと田村の視点で映画は展開され、例えば空撮的に戦場を映すシーンは一つもない。鬱蒼と茂るジャングルの中を、蛆が湧き、汚れきった兵士達が己の身体を引きずりながら進む。圧倒的な戦力差の中で殺され続け、逃げ、殺し、病み、飢え、人肉食という狂気に突き進む彼らを淡々と田村の視点で映し続ける。だから彼が狂ったと思えば世界は狂う。狂った彼を遠巻きに眺める観客の視点は持ち込めないのだ。

地べたしか映さない戦争映画は本当に恐ろしい。というか、見た事がない。「私はそこに居ない」と安心出来ない。這いずり回る田村に徐々に引きずり込まれてしまうから。

 

だから人肉食のシーンになっても、むしろこれはある種当たり前の事、正常な事なんじゃないかと思える程だった。ゴア描写のキツイ死体だらけの場所で平気な顔している彼らの事も別に変だとは思えなくなる。火が欲しいという理由から始まり、村人の女を射殺してしまった彼が火を見る度に女を思い出すのも。それを狂気と言い切れない事も。

 

この映画は明確な敵は描写されないし、ゴールもあやふやだし、いつ終わるかもはっきりとしない。原作を読んでいない、歴史も知らない人が見たら戦争映画と呼べるか際どいラインだ。ただのゴア描写満点の映画になってしまうかもしれない。でもそれでいいと思う。野火が面白いのは極限状態に追い込まれた主人公の思考の描写――自分も狂っているかもしれないのに、一歩引いた所でさも狂っていないかのように語り続ける――だからだ。これは『俘虜記』でも思った事だけど。

 

原作と映画で一番違うのは美しいフィリピンの空と海、緑だろう。かなり意識的に美しい自然が映されている。田村は実は物凄く綺麗で美しい世界に居る、そう世界は美しいのだ。だが田村に密着したカメラは地獄絵図を描き続け、田村は地獄に居る。

  

彼らは狂っているのにある程度正しいと思えるし、その戦いに意味はあるはずなのにそうは思えない。何もかもが同じ所に乗せられて、いつの間にか狂ってる。

 

それが、物凄い綺麗な世界で行われている。多分、僕たちもそういう綺麗な世界に生きている。

 

よくある戦争映画として観ない方がいい。勇気への称賛も、悲劇への同情も、戦場の絆への賛美も何もない。ただ男が歩いている。徒労感と狂気と意味の無さと空腹と痛みと共に。田村は多分、そこから消えない火を持ち帰った。それは今もこちら側にあり、ジャングルの茂みと地続きになっている。狂った世界に置いてきたわけではないのだ。元からそんな世界はないのだから。

 

気付けば僕も歩いている。ジャングルの中を。

 

良い映画でした。