眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

『さよならの朝に約束の花をかざろう』を観た

書き癖が着くと、何か読んだり観たりすると書きたいなと思うようになりますね!

 


映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』予告編

 

縦糸は流れ行く月日。横糸は人のなりわい。
人里離れた土地に住み、ヒビオルと呼ばれる布に日々の出来事を織り込みながら静かに暮らすイオルフの民。
10代半ばで外見の成長が止まり数百年の寿命を持つ彼らは、“別れの一族”と呼ばれ、生ける伝説とされていた。
両親のいないイオルフの少女マキアは、仲間に囲まれた穏やかな日々を過ごしながらも、どこかで“ひとりぼっち”を感じていた。
そんな彼らの日々は、一瞬で崩れ去る。イオルフの長寿の血を求め、レナトと呼ばれる古の獣に跨りメザーテ軍が攻め込んできたのだ。絶望と混乱の中、
イオルフ一番の美女レイリアはメザーテに連れさられ、マキアが密かに想いを寄せる少年クリムは行方不明に。マキアはなんとか逃げ出したが、仲間も帰る場所も失ってしまう……。
虚ろな心で暗い森をさまようマキア。そこで呼び寄せられるように出会ったのは、親を亡くしたばかりの“ひとりぼっち”の赤ん坊だった。
少年へと成長していくエリアル。時が経っても少女のままのマキア。同じ季節に、異なる時の流れ。変化する時代の中で、色合いを変えていく二人の絆――。
ひとりぼっちがひとりぼっちと出会い紡ぎ出される、かけがえのない時間の物語。

(公式サイトのストーリーより)

 

との事。鑑賞中はそれこそ織り込まれた糸のように複雑なストーリーだなと思いましたが、公式サイトの解説は簡潔にまとまっていて素晴らしいですね。

綺麗で、もどかしい物語でした。愛を知る、という事ですが、それは単純な恋愛関係ではありませんでした。もしエリアルとマキアが同い年で出会っていたら、永遠の時を生きる少女と、人の生しか生きられない少年の非恋の物語になっていたかもしれません。

でも二人は母と子供として出会って、エリアルがお母さんを追い越してしまう。

 

マキアはずっと少女のまま、「母」になろうとする。そしてレイリアとクリムとの三角関係に敗れた後遺症から、恋愛はしません。だから新しい人と付き合わないし、エリアルを言い訳にして生きている節もありました。エリアルがマキアに抱いた好意を拒否しながらも受け入れたいという中途半端な感情を抱いて、いずれ来る別れに怯えながら。

多分ここが味噌なんだと思います。作中の他のお母さんは皆年を取り母になっていきますが、マキアだけはずっと少女で、中途半端に「母」を演じ続けます。

必死に頑張って、努力してミスして……中途半端なまま「母」をやり抜きました。母の理想像には追いつけず、少女として生き続ける事も出来ず、それでもエリアルを想って母をやり抜いた。

エリアルの女性関係は常にマキアの事が頭によぎっているけれど、マキアの事を想って、他の女性をちゃんと愛して成長していく。

二人は最初に母子という選択をしただけで、途中から他の選択肢へと移ってもよかったわけです。でもそうしなかった。「少年」「少女」としての正解には行かなかった。

 

二人とも正解を選ばない事で、深みのある二人だけのゴールにたどり着きました。

エリアルを拾うべきではなかった/マキアへの好意を隠すべきではなかった/別れるべきではなかった/ずっと一緒にいればよかった/

一つでも別の道を選んでいれば母と子の性愛物語になっていたけど、全部違う道を選んだ事で、綺麗で気高いお話になっていたと思います。

 

その所為でもどかしいんですけどね! 最初に母と息子って関係性を選択したマキアがすごいとしかいいようがない!

(つーか逆・光源氏しても良かった気がする。二人が逆だったらなってた気がする)

最終的に二人が「ただいま」と「おかえり」が言える関係になれて良かったです。

 

*対照的に、レイリアは母である事を完全に捨て去った。多分こういう選択も、「少女」にはありなんだと思います。

*川井憲次はやっぱりあれですね、音楽がBGMではなくてFAM(front attack music)ですね。攻撃してきます。

*絵はすっごい綺麗だった。川井憲次のFAMと合わせてこれだけで楽しめるレベルでした。