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眠るまでに見た夢のこと

眠るまでに眼に映った事聞いた事、読んだ本やった事行った所思った所を書きます。時々、眠った後に思ったことも書きたい(願望)

「GODZILLA」

ゴジラである(^^) なんかすげえゴリラっぽかった。

 

あのゴジラがスクリーンで、しかも3D(3Dで観ました)。いやもう言うことはないっす。ゴジラの生物っぽさはいやにも増しており(着ぐるみじゃないので当然といえばそうなんだけど)、敵怪獣ムートも中々グロくてかっこいい。しかもこのゴジラ、ちゃんと火(放射能熱線)を噴く。言うことはない。壊されまくる建物と人々、回収しきれない露骨な伏線(続編のために)、立派だ。実に立派な怪獣映画そしてゴジラ映画だ。家族ドラマとしても売っているみたいだけど、これはゴジラ映画としてみればいいと思う。もし日本がまたゴジラ作ったら今度は着ぐるみでやんのかな。やってほしいな。今から下につらつら書く事は一切考えず、3Dとゴジラのフォルムを愉しめばいいと思います!

 


「GODZILLA ゴジラ」予告3 - YouTube

 

で、ちょっと思った事を書く。

 

1954年ビキニ環礁沖の水爆実験にて誕生した怪獣、それが初代「ゴジラ」だった。ゴジラ原子爆弾原子力という力その物の怪物性をその一端に持っている。生み出した人間が手におえない程の力という意味で(言い方を変えれば、常にコントロールできる幅を見誤ると言ってもいい)。

 

 初代「ゴジラ」の最後はオキジェン・デストロイヤーと呼ばれる原子爆弾と同じ超常兵器を持って芹沢博士が倒し、自身も製造法を秘匿するため海中にて自決。人間の身勝手により生み出した怪獣を人間の身勝手により殺すという終わりだった。ゴジラが一般のパニック映画、モンスター映画と異なるのはここで、人間の過ちによって生み出された怪獣だという点だ。(ちなみに、平成ゴジラvsシリーズ最後の「ゴジラ対デストロイヤ」ではこのオキシジェン・デストロイヤーが元でデストロイヤが生まれ、死闘の末ゴジラと共に消えていくという最後である。一応、オチはついていた)

 

で、今回のゴジラゴジラ発生の原因は同じにしているが、自然をコントロールできると思っている人類と、そんな事は出来はしないという命題のぶつかり合いである。なんだかキリスト教っぽい。

 

1954年のビキニ環礁水爆実験により、太古より「放射能」を栄養として生きていた生物が復活を遂げる。それが今回のGODZILLAだ。人間は何度も核爆弾でゴジラを殺そうとするが結局殺せずに終わり、舞台は2000年代へと移る。そこに、同じく「放射能」を餌とする「ムート」と呼ばれる怪獣が現れる。ムートは放射能を餌とするため、原子力発電所を狙い、街に壊滅的な被害をもたらす。共に放射能を求めるゴジラとムートはお互いの戦いを宿命づけられ、人類を巻き込みながら戦いを繰り広げる。という話。

 

印象に残るのは最後、ゴジラと主人公が見つめ合うシーン。ムートとの死闘の後、双方言葉を交わすわけではなく(当たり前だが)、なりゆきでたまたま視線が合ってしまう。その時のゴジラは吠えもせず、身を震わせることもなく、ただ主人公と向き合い、ゆっくりと煙の中へと消えていく。ぐっときた。

 

原発と原爆が後ろにある作品にはなっており、悲しいかな、今の日本だとこれは作れない気がする(ゴジラ放射能熱線を吐くだけでクレームがきそうだ)。怪獣たちの登場により津波で押し流される町や人はリアルで、どうしても僕はニュース映像を思い出してしまった。でも同時に、そういった事を露骨にやるような映画が今まで日本になかったのも感じた。もう三年も経っているのに。だがこういうリアルさは初代にもあって、ゴジラ登場のための疎開する人が「また疎開かあ」とつぶやいたり、横に逃げる(空爆と火からは横に逃げるのがセオリーだった)人々を撮っていた。だから後十年くらいしないと日本ではできないのかもしれない。

 

登場人物たちがゴジラ登場の安っぽい意味あいとかを語り合うシーンもなく、あの目に見つめられただけで、終わる。結局僕たちは初代ゴジラを倒した後も、超常の力を無理やり使っているし、ときに暴走させている。それの総決算もできずに進んでいる。

 

娯楽映画だけど、第一作を意識してるがゆえに、こういう思考が入り込みました。

 

いや、もう完全な娯楽としてのゴジラを撮る事は出来ないんじゃないだろうか?ゴジラは今あまりにもリアルじゃないだろうか? だからほら、だれかゴジラ映画に挑戦してぜひまたスクリーンに(ry)

 

ラストのテレビニュースも印象的で、結局人間は愚かなままであると伝えたいみたいだった。

 

初代ゴジラ見直します!